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東京高等裁判所 昭和58年(う)1550号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺清が提出した控訴趣意書に、記載されたとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、原判示第二の安全運転義務違反の公訴事実について証拠が不十分で立証が尽くされていないのに原判示のように認定したが、原判決の認定事実によっては、どのような道路、交通及び当該車両等の状況があり、どのような他人に危害を及ぼさないような速度と方法による運転が被告人に義務づけられていたのか、具体的に明らかにされておらず、原判決には、理由不備の違法がある、という趣旨に解せられる。

そこで検討すると、道路交通法七〇条は「車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。」と規定し、いわゆる安全運転義務について定めるとともに、故意又は過失による同条の違反行為に対する処罰規定をもうけている(同法一一九条一項九号、二項)のであるが、同法七〇条は、同法各本条に規定している運転者の義務行為にあたらない行為を捕捉するための補充的規定とされ、包括的な規定となっているため、同条に違反する運転者の行為類型が必ずしも明らかでなく、同条を形式的に解釈すると、自動車運転者に科される一般的注意義務、たとえば前方注視義務、安全確認義務などに違反する行為のうち軽微なものをも含む、およそあらゆる不適切な運転行為が同条にあたるように解されないでもない。

しかし、前記のとおり同条違反の運転行為を処罰する罰則規定が設けられていることから考えても、同条を右のように非定型的、非類型的な規定と解するのは相当でなく、同条が、運転者に、他人に危害を及ぼさないような速度と方法による運転を義務づけている趣旨は、運転者の不適切な運転行為のうち、とくに、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度、方法による運転行為を禁止するところにあると解するのが相当である。

したがって、同条違反の罪責を問うためには、それ自体が、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の高い危険な速度、方法による運転行為であること、もしくは、道路、交通及び当該車両等の具体的状況との関連で、それが前記同様の危険な速度、方法による運転行為とみうる場合であることを要し、有罪判決の罪となるべき事実においてはもとより、訴因においても、そのことが具体的に明示されなければならないと解すべきである(なお、最高裁判所昭和四六年五月一三日第二小法廷決定、刑集二五巻三号五五六頁、同年一〇月一四日第一小法廷判決刑集二五巻六号八一七頁、各参照)。

これを本件についてみると、原判決は、原判示第二の故意による安全運転義務違反の罪となるべき事実として、起訴状記載の公訴事実とほぼ同旨の「前記日時・場所において、前記車両を運転中、進路前方道路左側に駐車中の石沢春男所有の普通乗用自動車の右側方を通過するに際し、対向車両に注意を奪われ、右駐車車両との安全を確認しないで時速約五〇キロメートルで進行し、自車左前部を右駐車車両の右後部に衝突させ、その衝撃により自車を左前方に暴走させて道路左側沿いの沢口唯志方門柱等に自車を衝突させ、もって他人に危害を及ぼすような速度と方法で運転した」旨の事実を認定判示しているのであるが、右記載のうち後段の「自車左前部を右駐車車両の右後部に衝突させ、その衝撃により自車を左前方に暴走させ、道路左側沿いの沢口唯志方門柱等に自車を衝突させ」とある箇所は、単なる情状の記載と解するのが相当であり(原判決も「争点に対する判断」の項中で同旨の説示をしている。)、前段の被告人が自動車を運転中「進路前方道路左側に駐車中の自動車の右側方を通過するに際し、①対向車両に注意を奪われ、右駐車車両との安全を確認しないで②約五〇キロメートル毎時の速度で進行し(①②の記号は当審挿入)」た旨の記載中、まず①の点は、対向車両に注意を奪われた被告人の不注意により安全不確認に陥ったという意味にしか解されず、過失犯ならともかく、故意による同法七〇条違反の事実としては状況的意味しかなく、次に②の点すなわち(進路前方道路左側に駐車中の自動車の右側方を通過するに際し)約五〇キロメートル毎時の速度で進行したということのみでは、①の部分の判示から対向車両の存在等がうかがわれるものの、いまだ、前に説示した同条の構成要件に該当する一般的にみて事故に結びつく可能性の高い危険な速度、方法による運転行為であることの摘示としては具体性に欠け不十分であるといわなければならない。

もっとも原判示は、「争点に対する判断」の項中において、本件現場付近道路等の具体的状況について説示しており、右状況は当裁判所も関係証拠によりこれを肯認することができ、右具体的状況のもとにおいて駐車車両の右側方を通過するに際し、時速約五〇キロメートルの高速で進行した被告人の運転行為は、同法七〇条所定の他人に危害を及ぼさないような速度、方法による運転行為に違背するものと認められるけれども、右の具体的状況は、もともと訴因において明示され、被告人の防御の対象とされるべきものであった。

しかるに、本件訴因は、前記のとおり、その明示を欠いているのであるから、原審としては、検察官に勧告する等して訴因変更の手続をとらせ、前記の道路、交通、当該車両等の具体的状況を明らかにさせるべきであったのに、原審がそのような措置をとらなかった点において、すでに原判決には判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反があるといわなければならないが、更に、原判決が摘示する原判示第二の罪となるべき事実には、前記のとおり同法七〇条の構成要件に該当する具体的事実の摘示が不十分である点において、原判決には理由不備の違法があるというべきところ、原判示第二の事実は、その余の原判示各事実と併合罪の関係にあり、一個の刑が科されているから、原判決は全部破棄を免れない。

論旨は結局理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三七八条四号により原判決を破棄し、当審において変更された訴因に基づき、同法四〇〇条但書により被告事件について更に次のとおり判決する。

罪となるべき事実は、原判示第二の事実を「前記日時・場所において、前記車両を運転中、右道路は、幅員約四・四メートルで狭隘なうえ、人家の塀が路端に接着して立ち並び、降雨のため路面が濡れており、かつ夜間で暗い状況にあり、しかも、前方左側約三三・三メートルの地点に駐車車両があることに気づき、さらにその前方には対向進行中の車両があるのを認めたのに、右道路交通等の状況に応じ、速度を調節することなく右駐車車両の右側方を通過しようとして、時速約五〇キロメートルの高速で進行し、もって他人に危害を及ぼすような速度と方法で運転した」と改め、これに伴い、原判示第三の事実中「石沢春男所有車両等」とある部分を「駐車中の石沢春男所有の普通乗用自動車及び道路左側沿いの沢口唯志方門柱等」に改め、原判示第四の事実中「第一及び第二」とある部分を「第一ないし第三」に改めるほか、原判示の罪となるべき事実のとおりであり、これに対する証拠は、原判決挙示の証拠と同一であるから、いずれもこれをここに引用する。

そして、罪となるべき事実に原判決掲記の法条を適用し(科刑上一罪の処理、刑種の選択、併合罪の処理を含む。)その刑期の範囲内において被告人を懲役一〇月に処し、原審における訴訟費用につき、刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼塚賢太郎 裁判官 苦田文一 中野保昭)

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